こんにちは。

パーソナルトレーナーの吉村です。

 

今日はちょっと暗いお題になるかもしれませんが非常に大事な内容になりますので最後まで読んでください。

 

人生100年時代の今だからこそ知る必要がある言葉で

「平穏死」という言葉を聞いたことは

ありますか?

私自身もこの言葉にふれるきっかけが

特別養護老人ホームの常勤医である

石飛幸三先生の本を読んでからです。

 

平穏死とは老境の最後

無理に生かす医療処置を必要としていない方に苦しまずに自然に穏やかに最期を過ごすことです。

 

この問題については賛否分かれる面もあるかもしれませんが

ひとまずは、自分の立場で考えてみることが良いと思います。

 

自分自身の老境最後

口から栄養がとれなくなったとしましょう。

 

お腹の皮膚に小さな穴をあけて胃から直接栄養をおくる

「胃ろう」という方法をとるか

何もしないで自然に死期をまつかのどちらかの選択となった場合、あなたならどうしてほしいですか?

 

私が以前に参加したことがある医療・介護従事者のセミナー参加者のアンケートで回復の見込みがない治療はしないでほしいといった方が大半で9割の方が自然に死期をまつという選択に手をあげられました。

それなのにも関わらず

自分の意思と反して胃ろうを造設して

生かされている人が多くいらっしゃるのが

現状です。

 

胃ろう大反対!

というわけではありません。

 

ただ、認知症を発症して自分自身で判断能力がない状態で自分の意思と反した選択肢を余儀なくされることに問題を感じています。

 

選択を余儀なくされた家族に対しては

今でも積極的に胃ろうを進める医者は多くいるようです。

胃ろうの造設を反対する家族に対して

「このまま餓死されるつもりですか?」

という言葉には、さすがに家族も躊躇してしまうことでしょう。

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「平穏死」という選択  石飛幸三  幻冬舎ルネッサンス新書

石飛幸三先生の書籍は、3冊読みましたが

書籍の中で何度も登場する

宮古島から東京の介護施設に入居された

お婆ちゃんの話が印象的でした。

 

病院に入院して施設に「胃ろう」をつけた状態で戻られたお母親の姿をみた息子が発した言葉です。

 

「宮古島では口から食べられなくなったら

枕元に水だけを置いて家族でゆっくり見守り生涯を終える」

 

これこそが平穏死なのだと思います。

 

 

人生のエンディングにおいて

口から食べられなくなり

「どうしましょうか?」という判断を

しなければならない場面が来ることが

あるかもしれません。

 

親なのか自分自身なのか

かわりません。

 

今できることで大切なことは

 

家族で未来のことについて

話し合う

人生会議が必要です。

 

そして、自分自身のエンディングを

どうしたいかを伝えることが大事に

なります。

 

 

パーソナルトレーナー 介護福祉士

吉村 太朗

 

公式ホームページ

yoshimura-taro.com

 

 

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投稿者プロフィール

吉村 太朗
吉村 太朗人生100年時代のパーソナルトレーニングコーチ
学生時代の介護施設実習で自分の足でトイレに行くことが困難なシニア、認知症に苦しむシニアとの出会いをきっかけに「運動で人生100年時代を変革する!」ということに使命を感じ介護の世界へ。15年間の介護現場を通じて延べ3万人以上の利用者に運動を指導する。介護現場の経験からの一番の懸念は運動を習慣化されている方とそうでない方では”老後に大きな差”がうまれるということ。「中年期までの運動の習慣化と心身づくり」こそ生活習慣病、体力低下予防、心のケアに最も効率良く効果的な方法であることが分かりその包括的な指導を始める。現在は独立して、体調不良、体力低下、将来への不安や焦りを抱えるミドル~シニア世代の方に対し、介護現場で得られた無理せず継続できるトレーニングを軸とした「パーソナルトレーニングメソッド」を提供。運動の習慣化と心身づくりをサポートし、「一人ひとりの豊かな人生100年の構築」に貢献している。